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円山応挙(1733-95)が描いた富士山の図に,有栖川宮織仁親王(おりひと,1753-1820)が讃(画讃とも,絵の余白などに書き添えられた文章・漢詩・和歌のこと)を付された掛軸。「竜渕王」は,織仁親王が文化9年(1812)の出家後に称された号である。讃は後年に加えられたもの。「雲きりも及ばぬふじのたか根にはおもひくらぶる山の端ぞなき 竜渕王讃」。
(図書寮文庫)
富士山を各地から撮影した写真。もともとは大正天皇の御手許写真であったものが昭和12年(1937)に書陵部に引き継がれた。画像はさったトンネル(現在の静岡市清水区)から富士山を写したものである。写真に写っている鉄道の線路が単線であることが窺えるため,線路が開通した明治22年(1889)から複線となる明治31年7月までの間の写真であると推測される。
(図書寮文庫)
桂宮初代の智仁親王(としひと,1579-1629)による富士山の図。元和3年(1617)に描かれたもの。同年に親王が徳川秀忠に対面するために江戸へ赴かれた折に記された『江戸道中日記』によれば,親王は実際に富士山をご覧になったことが分かる。
(図書寮文庫)
在原業平(ありわらのなりひら,825-80)とされる「昔男」からはじまる物語。本書は室町中期に写されたもの。画像は,男が「東下り」をする道中に,富士山を見て夏であるのに雪が降り積もる様を「ときしらぬ山はふじのねいつとてかかのこまだらに雪のふるらん」と和歌に詠じた場面。
(図書寮文庫)
延喜5年(905)に成立した初めての勅撰和歌集。本書は享禄2年(1529)に三条西実隆(さんじょうにしさねたか,1455-1537)が書写をした。画像のうち,富士山が詠まれた和歌は「ふじのねのならぬ思にもえはもえ神だにけたぬむなし煙を」。富士山は和歌の世界では,実景よりも恋の歌に多く詠じられた。また,噴煙の有無にかかわらず煙を立てる姿が詠まれた。
(図書寮文庫)
天正10年(1582),豊臣(羽柴)秀吉が織田信長の三男信孝(のぶたか)に,本能寺の変後の動向を伝え,自身の活躍を訴えたもの。27ヶ条におよび,信長死後の織田家の相続を定めた清洲会議や,秀吉が明智光秀を破った山崎の戦いの顛末が記されている。秀吉の自筆ではなく,控えとして写したものか,後世に写し取られたものと考えられる。幕末・明治期の国学者谷森善臣の旧蔵。